4月になって、私は高嶋君の作った2ストローク入力を商品化してくれる企 業を探して、行商をした。豊橋技科大は新設大学だったので、助教授の私は4 50万円の研究費が講座新設費として使えたが、これはこの方式を開発するた めのコンピュータに消えてしまい、次の研究費を稼ぐ必要があったからである。 技科大は国立大学であるが、産学協同のために作られたような大学であったた め、このような行商をしても、回りから雑音が聞こえてくるような事はなかっ た。私の研究費かせぎは、研究を請け負ってやるのではなく、研究成果を使っ てもらうという方針をとってきた。
行商にひっかかったのは、「ギャルド」というベンチャー企業であった。こ の会社は当時めずらしかった英文ワープロをいち早く導入し、電算写植機とつ ないで欧文のパンフレットを作っていた。今でいうDTPである。これがうまく 行ったので、日本語についても同じ事をやろうと考えていた。
ところが、当時売り出されたばかりのワープロ OASIS を使ってみても、欧 文と同じ生産性があがらなかった。これは、英文タイプとちがってオペレータ が入力に慣れていないということもあったが、カナ漢字変換を使ったので、前 回も述べたように原理的に入力の速度が上がってこないからである。そこで、 もっとよい方式は無いかと探していた所であった。
オペレータの育成と同時に柴田氏はエプソンのワープロ EXWORD 20 に「タッ チタイプ」を正式採用させ、その年の秋のデータショウで発表することになっ た。また、高速入力を生かした印刷システムとして EXWORD 20 をモリサワの 電算写植機 ライノトロンにオンライン接続するシステムを開発し、時間と勝 負できる印刷システムとして、オペレータといっしょに出版界に提案していっ た。
柴田氏は1970年に手動写植機1台を持って印刷業界に入ったが、受注産業の 悲哀を痛感して、こうした提案型の企業へ転身をはかっていた。印刷業ではせっ かく打った原稿も発注者が書き直すと打ち直さなければならない。これでは発 注者も受注者も付化価値を高めることが出来ないので、こうした手戻りの出な いシステムを模索していたのである。
ワープロで入力したものが電算出力できれば、ワープロ出力段階で校正が出 来、高価な写植出力を無駄にすることもない。このシステムは後に、週刊誌 「ニューズウィーク」が翻訳出版されるようになった1986年に、高速の版下作 成システムとして採用されることとなった。本当は翻訳者自身がワープロ入力 を行なえば一番よかったのであるが、この当時の翻訳者はまだワープロを使う 事に抵抗があったため、オペレータが入力することになった。
このような柴田氏の考え方は、OA化の王道を行くもので、現在でも十分に 通用するものである。しかし、ワープロの値段が百万円以上した当時は、まず 機器の普及が優先され、人間がそのために努力するような考え方は社会から受 け入れられなかった。この事情は現在に至るまで変わらない。
コンピュータは今や非常に安くなり、本体のICだけなら、数百円で手に入る。 しかも、この安いコンピュータが人間の百万倍以上の速度で計算をしてくれる のである。時速100キロで走る自動車は4キロで歩く人間に比べてたった2 5倍早くなっただけであるが、人間の行動範囲が自分の町から日本中に広がる。 250倍早い飛行機なら、文字通り世界をまたにかけて活躍できる。これを考 えると、百万倍速いコンピュータが数百円で手に入るということは、とてつも ない道具を人間が手に入れたことが分る。
しかし一方で、コンピュータは人の顔を見分けることが出来ない。印刷文字 がやっと読めるようになってきただけで、手書き文字を見て読めるのは、郵便 番号程度である。これに対して人間は、赤ん坊でも人の顔を見分けられる。こ のように、コンピュータには出来ることと出来ない事があるが、人工知能とい う言葉があるように、人間以上の能力があると錯覚してしまう人が多い。
コンピュータが普及した現在、これを何に使うべきかは慎重に考えなければ ならない。単に今まで人間がやってきた事をコンピュータにやらせてもうまく 行かない場合が多い。それを強行するから、OA化を行ってかえって、人手が かかってしまう。しばらく前の人手不足にはこうした側面があった。人間が賢 くならなければいけないのである。OA教育はこうした観点から行なわなけれ ばならない。この意味で、柴田社長のOA教育は10年以上前に行ったもので あるが、実は情報化が本格化した今こそ必要とされる教育なのである。
この入力方式を知って、S社のワープロ事業部が採用したいとギャルドに熱 心に打診をして来たが、エプソンの顔を立てて待ってもらっているうちに、事 業部長が変ってこの話は消えてしまった。
ワープロの普及が進んで行くなかで、「タッチ16」のユーザーは私の予想 通り、覚えた人にとっては快適で能率が上がる入力方式として好意を持って受 け入れられた。1984年に出た「タッチタイプの本」には、52歳の朝日新聞研 究員、35歳の主婦から11歳の少年まで、多彩なユーザーがこれを使い出し た事が記録されている。中でも、覚えて1年でワープロ・コンテストで優勝し た話や、11時15分から12時40分にかけて行なわれた1時間25分の講 演の速記録を、3時間以内の同じ日の15時30分に600部印刷・製本して 配布するという、「即時録」の体験記は、この入力方式の優秀さを示す事例と して私が誇りに思っていることである。
その後、ローマ字入力の普及とともに、この方式のユーザーはワープロ全体 の中で見えなくなってしまった。ローマ字入力の倍の仕事が出来ても、入力オ ペレータは倍の給料がもらえない。仕事で計るのではなく、働いた時間で計っ て給料を払うのが、日本のやり方である。こうした中で、若いオペレータは仕 事のチャンスの多いローマ字入力へ移っていった。
しかし、「タッチ16」を引続き使ってくれるユーザーもいる。こうした人 の多くが、60歳以上の人達であることは、私の予想しなかった事である。こ うした人々は、覚えるのに若い人の倍以上時間がかかったとしても、覚えた後 の作業が楽になるので、この方式から離れられないのである。
日本の社会的状況が、オフィスの生産性を上げることをやらざるを得ない方 向に進みつつある。働いた時間ではなく、成しとげた仕事で給料を決めなけれ ばならない時代となった。「タッチ16」の出番である。これが世に出た10 年前には、入力が大変なことは、印刷業界など1部の人にしか理解されなかっ た。そうした中で、カナ漢字変換は目がつかれるし、脳もつかれると言っても、 普通の人には分るはずがなかったのである。
しかし、ワープロが普及した現在、タッチ法でキーボードを使っている人な ら、変換の煩わしさを指摘すれば直ぐに理解され、2ストローク入力の話をす ると自分もやってみたいといる人が出てくるようになった。欧米の人達に負け ない知的生産性をあげようというのに、カナ漢字変換をやっていたのではとて も勝てそうにない。
こうしたことが理解出来る人はまだ少ない。まずはタッチ入力の普及が必要 である。今こそ、柴田社長が10年前に行ったOA教育を実施すべき時ではな かろうか。特に、経営者を含む中・高年に柴田流のOA教育をやってみたいも のである。