先月号で言いたかったのは次のことである。人間が努力すればそれだけ能力を上げられる2ストローク入力は、10年前には日本の社会に受け入れられなかったが、それは、どれだけ仕事が出来たかではなく、どれだけの時間働いたかが評価される日本の社会の仕組みによる所が大きかったからではないか。端的に言えば、能力の低い人が長時間働いた方が、能力の高い人が短時間働いて仕事をかたづけた場合よりも、高い対価が払われるという日本の情報産業の状況では、人間の能力があらわに見えてしまう方式は煙たがられてもしかたがなかったのであろう。
もちろん、現在の日本のホワイトカラーがやっている仕事をそのままコンピュータに移行しようとしても、それはうまくいくものではない。しかし、会社の業務を分析し、コンピュータを出来る限り利用するという観点から業務システムを見直すリエンジニアリングをやれば、実はホワイトカラーの仕事の大部分は、彼ら自身の存在のために行うものが大部分であることが判明するであろう。
コンピュータがない時には、大きな組織内に情報を流通させるのは人間しかいなかった。このため、大量のホワイトカラーが必要とされた。そして、こうした人々は自分達の存在を確かなものにするために、次々と仕事をつくり出してきたのである。こうした二次的な仕事はコンピュータ化をするのが難しい。しかし、彼らの本来の役割である情報伝達については、電子メール等で十分に置き換えることが可能である。そうなると、人間に残された仕事は何かが問題となる。
企業を考えると、その企業の目的は何か、それをどのように実現するかといったことはコンピュータにやらせるわけにはいかない。この意味で経営者の仕事は残る。
経営者が欲しがっているものの一つに、その企業の現場の生の情報がある。例えば、営業マンが客先から得た情報を経営者は知りたがっている。しかし、現在の企業組織のもとでは、中間に何段もの中間管理職がいるので、生の声が経営者まで伝わることは少ない。
しかし、電子メールが使えるようになったとしても、この問題は簡単には解決しない。何百、何千人という営業マンから電子メールが毎日きたら、とても読みきれるものではない。どうしても情報を集約する仕組が必要となる。中間管理職はこの意味では重要な役割を担っていた。
情報を集約し、なのかつ生情報もひき出すことが出来るようになるといいのだが、そうした目的に合ったソフトウェアは存在する。KJ法を支援するアイテック社のISOPである。
コンピュータ上でこの作業を行うと、編集作業が支援されるため試行錯誤が容易となる。また、代表カードの下にある生カードも必要があれば覗くことが出来る。これを手作業で行うと、やり直しが容易でないので、どうしても成り行きで進みがちであるし、生カードまで見えるようにしようとすると、大きな紙が必要になる。
ISOPは秋葉原で毎月4、5百本売れているようであるが、類似品がないため苦戦している。日本では、ユニークなソフトは売れにくいのである。実は、KJ法の支援ソフトウェアKJエディタを最初に作ったのは、豊橋技術科学大学の私の研究室で、完成は1988年である。
KJ法を支援しようとするとまず問題になるのは、画面の大きさである。PC9801上で開発したため、小さな画面でカードの配置作業を行うのに、二つの画面を重ねて表示することにした。一つはテキスト画面で、カードとそこに書かれた文字を読むことが出来るが、配置全体は見ることが出来ない。もう一つはグラフィック画面で、こちらはカード配置全体は見えるが文字は読めない。この二つの画面を色を変えて重ねて表示し、テキスト画面はマウスカーソルの動きにつれて、高速に動き回れるようにした。
机の上でカードの配置作業を行う時、見ているのは注目しているカードのまわりだけで、その注目点が机の上にあちこち動き回る。これをシミュレートしたのが我々のシステムである。VMという今では見ることもなくなった機種で実現したが、その高速スクロールは見る人を驚かせた。現在、このソフトをワークステーション上でも実現しているが、VMに近いスクロール速度が実現出来たのは1、2年前のことで、現在でもVMの方が速い。これは、98がゲーム機として出発したという機種の特徴を我々がうまくいかすことが出来たからである。
ISOPは我々のシステムを参考にして開発されたが、特に情報の集約に重きを置いて、そのための配慮を色々と組み込んでいる。これに対して我々のシステムは、カード配置のような図解を能率よく作るためのシステムということで、開発のコンセプトが少し違う。
私の研究室では以来、学生との議論はKJエディタで作った図解を見ながら行うのが習慣となった。また、研究室外でも多くの人が使ってくれた。中には博士論文の執筆にこれを使った人もいるが、彼の場合、まず書く内容をKJエディタでまとめた後、図解とは無関係に論文を書く。それなら図解を作る必要もなさそうに思えるが、図解なしで書くのとは出来上りが全く違ってしまうということであった。図解を作る作業は、考えている対象を明確にし、発想をうながす効果がある。
現在このKJエディタは豊橋技科大において、カードで文字だけでなく音や画像も表せるようにして、マルチメディア作品制作の発想支援に使ったり、ネットワーク上で使えるグループウェアにして会議を支援する等の拡張が行われている。今はやりのインターネット上で、WWWと結びつけて、検索結果を図解化しながら同時に検索を進めていくシステムも作った。世界中のデータにアクセス出来ても、こうした検索結果の整理システムがなければ、実用にはならないだろうというのが我々の予想である。
しかし、物の生産の効率を上げるだけでなく、知的生産の効率を上げる必要が日増しに強まる今日、知的労働を行う者が、キーを探すことや正しい漢字を選ぶことに時間を使うのは、知的資源の無駄使いといって過言ではないだろう。
このことを理解するには、体験するしかない。ここに、私の主張が普及しない原因がある。例えば、今回のようなキーボードの連載をパソコン雑誌に提案しても、なかなか受け入れてもらえない。非常に見識を持っていると私が評価する編集長の場合でもそうである。手を見てキーを打っているけれど、それで一向に支障がないということであった。しかし、今回はすぐに連載が決まった。聞いてみると、本誌の工藤前編集長はタイプが打てるという。
自分の体験したことならすぐに判断出来るが、体験しないと分からない。頭で理解するのでなく、体で経験しなければ理解出来ないことの一つにキーボードがある。キーボードの重要性を理解してもらうのは大変難しい。
しかし、これだけコンピュータが安くなり、みんなが使わざるを得ない状況になってくると、キーボードの問題が直面せざるを得なくなる。手書き入力とか、音声入力に頼ろうとしても、前にも述べたように、決して効率的にコンピュータが使えるようになれるわけではない。電子メールのように、社会に大きな影響を与えるようなコミュニケーション手段が普及すれば、キーボードを使わざるを得なくなる。
キーボードの長所はいろいろあるが、実は何より覚えるのが簡単というのが第一であろう。わずか2、3時間で正しく覚えられるということが一般に理解されれば、キーボードは真の意味で急速に普及していくのではなかろうか。そして、ブラインドタッチが一般に普及してはじめて、私の主張する2ストローク入力の意義も理解されるようになってくるであろう。