「PC Work!」 95年1月号 日本キーボード物語

目にやさしいキーボード  

大岩 元   



パソコンとつきあう上で、きわめて身近な存在でありながら、少なからぬ人に取っつきにくさを感じさせる「キーボード」。パソコンに今一つ親しめないのも、つきつめればキーボードが……という人も多いのではないだろうか。本連載では、そうした“近くて遠い”キーボードに焦点を合わせて様々な角度から捉え直すことにより、現在のコンピュータリテラシーをめぐる問題を逆照射したい。

オフィスを変えるコンピュータ・ネットワーク

パソコンの普及に伴って、オフィスワークが大きく変わろうとしている。現にアメリカのオフィスのパソコンは、その多くがローカル・エリア・ネットワーク(LAN)につながっている。パソコン・ネットワークが入ってくると、仕事のやり方が大きく変わる。

私自身も、2年半前に SFC(慶応大学湘南藤沢キャンパスの略称)に転勤して、机の上にネットワークにつながったワークステーションがあるようになってから、1日の半分以上はコンピュータに向かう生活を送るようになった。

以前から机の上にはパソコンがあったが、これがネットワークにつながることによって、電子メールに従って1日の仕事がドライブされるようになった。朝出勤するとまずメールをチェックする。私のところに来るメールの数は1日平均20通位のものであるが、これに目を通し、その場で処理できるものは処理する。これだけで、1時間以上かかってしまう。その場で処理するといっても、返事を書こうとすると5分位はすぐにたってしまう。直接会っている場合と違い、表情は伝わらないし、電話のように声の調子で感情が伝わらないので、表現を慎重にする必要があるからである。

そんなにまでしてなぜ電子メールを使うのかといえば、世界中の同業者、つまり研究者たちがみんなこれを使っているので、使わないと著しくコミュニケーションが阻害されてしまうからである。それではなぜこんなに同業者が使うかといえば、情報が世界中に瞬時に伝わる上に、電話のように受け取る側が仕事を中断する必要がないからである。我々にとって情報の伝わる速さと、集中が乱されないことは、どちらも大変重要なことである。

すぐに処理できるメールをかたづけた後、残りのメールを処理するための作戦を立て、必要な準備を整えてから返事を書いていると数時間があっという間に過ぎてゆく。メールと直接関係のない授業の準備や原稿書きもあるので、1日の半分以上をコンピュータと格闘することになる。そして、その作業の大部分はキーボードをたたくことなのである。

目が疲れるGUI

世の中では、マウスだけで操作できるグラフィカル・ユーザ・インターフェース(GUI)か使いやすさの決め手のように宣伝されていて、キーボードは悪の張本人のように言われている。マウスだけで仕事ができるなら、その通りのようにも思える。

しかし、マウスで選べるのはメニューに出てきたことだけである。受身の仕事しかできない。その上、複雑な仕事をするには何段にもわたって、メニューを開かなければならなくなる。その度に目をこらしてメニューを眺め、カーソルを注意深く設定しなければならない。目が酷使される。ところがキーボードが打てれば、コマンド入力一発で目を使わずに目的が達せられる。こう考えてみると、目にやさしいのはキーボードだといえる。

さらに、情報を発信しようとしたら文字入力を行なわなければならない。マウスで文字入力を行なったらとても仕事にならない。位置を指定するポインティングだけはマウスが優れているが、キーボードのほうが汎用的である。とにかくキーボードが打てた上で、マウスを使うようにしないと、実用的にパソコンを使うことにはならない。

練習しなくても打てるから困るキーボード

キーボードは練習しなくても打てるので、多くの人が練習しないで使い出す。50以上もあるキーを探しながら打つのだから、当然目がくたびれてしまう。キーボードが悪役にされてしまう所以である。

キーボードは練習して手を見ずに打つべきものである。ところが、操作自体はあまりに簡単なために、練習しなくてもそこそこ使えてしまう。ここにキーボードが悪役にされてしまう原因がある。

キー入力が主役となるワープロの入門教室でも、キーボードの練習を行なわずに、いきなり操作を教えだす。受講者はキーを探すだけでくたびれ果てて、せっかくの講習がさっぱり身につかない。これは入力練習を最初にやらない講習の設計が悪く、こうした講習は脱落するほうがセンスが良いので、心当たりのある方は心配する必要はない。

3時間で覚えられるキーボード

練習すればキーボードを使うのが楽になるといっても、その練習があまりに大変だと、やれというのも無理な注文というものだ。実際、タイプ学校にかよって英文タイプを習得しようとすれば、この位時間がかかる。

しかし、これはプロのタイピストになるための時間であって、普通の人が一応打てるようになるだけなら、ずっと短い時間でよい。

最短の練習法は増田忠氏による方法で、「キーボードを3時間でマスターする法」(日本経済新聞社)に書かれている。この方法を練習するカセット教材「楽々キーボード速習講座」(アルク)も発売されている。

ただし、この方法は覚えるのも早いが、忘れるのも早い。忘れないためには、覚えたらすぐに使いまくることが必要である。数十時間使い続ければ、身について、その後は一生忘れることはない。体が覚えると忘れないものである。

私が愛用しているは P. S. Pepe による方法で、これだと5時間で英文が一応打てるようになる。この方法は私が監修した「5時間10分キー入力習得法」という本としてマグロウヒルから出版されているが、ここに10分という半端な時間が入っているのは、打ち方の注意を学ぶ時間である。これをいいかげんにすることが、練習に失敗する原因なので、特に強調する意味でつけ加えてある。

3時間と5時間の差は、どのくらい体が覚えるかと差である。Pepe の方法は、覚えた後さらに5時間分の教材がついているので、ここまでやればほぼ一般人としては完璧に英文タイプを習得できる。また、これを PC-9801上で練習するソフトが「TUTタッチタイピング」として岩波書店から発売されている。これには練習の仕方を解説したビデオまでついている。

実は、4年前に SFC が発足した時、コンピュータ教育として真っ先にやったのが、Pepeの方法によるキーボード練習である。当時私は豊橋技術科学大学(略称 TUT)に勤めていたので、研究室の人間を藤沢に総動員して、1週間にわたって1,100人の学生にキーボードの練習の仕方を教えた。この時に練習法を徹底するために作ったビデオを商品化したのが、岩波の「TUT タッチタイピング」である。

1本指打法の再教育は不可能ではない

世の中には、キーを見ないで打つ人よりキーを見ながら打つ人のほうが圧倒的に多い。こうした人も、正しく練習しさえすればタッチタイピングを覚えられる。しかし、覚えたての打ち方は危なっかしいので、実用時には1本指打法にもどってしまう。こうして、せっかく覚えたタッチタイピングも、使わなければ忘れてしまう。

これに対して、初めから正しい打ち方で習った人は、それしか打ち方を知らないので、その打ち方をやっているうちに、自然に身についてしまう。

最初の練習法が一生を左右する。何でもそうであるが、最初につけた悪いくせを直すのは大変である。それでもキーボードは簡単な技術なので、本人がその気になれば回復が可能である。

その方法は2つある。1つは、とにかく1ヵ月位能率が下がるのを我慢して、タッチ入力を続けること。もう1つの方法は、キーを見ながらでよいが指使いを守って打ち、その代り1日15分程度のキーボード練習の時間を毎日とることである。まじめに続けていれば段々と見ないでも打てるようになってくる。

具体的にどのようにすれば打てるようになるか、次回はそのポイントを解説することにしよう。


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