情報教育論 講義ノート 第3回 (実施・01/10/22)
情報教育における“人にとっての情報”の扱い
01・講義の目的:
以下の3点を知ってもらうこと
- 論者の立場によって情報教育の捉え方に大きな違いがあること
- それぞれの立場の違いは、基本的な“情報観”の相違に行き着くこと
- 情報教育を考える上で、“人にとっての情報”を捉える視点が必要であること
02・情報教育に関する議論:
- “工学的関心” に基づく立場による議論
→ 主に教育工学など
- “理学的関心”に基づく立場による議論
→ 主にInformatics、Computer Science( CS )など
- その他
→ ?(私の立場?)
- ただし“工学的”“理学的”とは、議論の際の関心の置き所の相対的な傾向を表す(厳密な意味での学問分野の分類ではない)
- →教育工学の専門家にも“理学的関心”の強い人
- →CSの専門家にも“工学的関心”の強い人
03・“工学的”立場から見た情報教育
- 「新しいものを作ること、それを導入すること」に主な関心
- 情報教育の議論の論点
→教育現場へのコンピュータの導入
→コンピュータ利用を前提とする教育内容の編成
(コンピュータ教材、インターネット利用教育、マルチメディア教育 etc.)
- いわゆる“教育の情報化”を良しとする
04・“理学的”立場から見た情報教育
- 「原理(本質?)を教育すること」に主な関心
- 情報教育の議論の論点
→科学的観点による情報の特性の理解に重点を置く教育内容の編成
→コンピュータ自体を対象化した教育内容の編成と導入
(アルゴリズム、プログラミング、情報の科学的な記述・表現法 etc.)
- 「原理(本質)の理解 → 応用」という流れを重視する
(従って、一面的な“教育の情報化”の議論には批判的)
05・“工学的”立場と“理学的”立場との対立点の一例
- 「プログラミング」は一般向けの情報教育の内容となるか?
- → “工学的”立場から見ると、不要
(“工学的”立場からすれば「学習者=利用者」)
- → “理学的”立場から見ると、必要
(“理学的”立場からすれば「本質の把握」こそが重要)
06・“工学的”立場と“理学的”立場、それぞれの考える情報教育における「情報」
- “工学的”立場
- 情報 →
学習者の目にするディスプレイ上に具体的に表現されるもの
(文字、映像、音声 etc.)
- (上記の意味での)情報の生産が重視される
→ 結果的に、コンピュータ操作・利用の教育に関心が向く
- “情報の本質的定義”に対して積極的ではない
- “理学的”立場
- 情報 →
記号セットと規則(プロトコル)によって客観的に表現されるもの
(抽象化・モデル化の方法論と不可分)
- 抽象化・モデル化の具体的な方法論の学習は、あくまで情報の本質を学ぶための手段
- 情報の客観性、再現性、伝達可能性の確保が重視される
→ 結果的に、“原理の本質的理解”に向けられた教育に関心が向く
07・“情報”の指し示すところ
- Data
- Information
- Knowledge
- Intelligence
- (2)(3)(4)をいかに(1)へと置き換えることができるか
→ ここに「理」に対する関心が発生する
- 上記の「理」をいかに多岐の具体的用途へ応用することができるか
→ ここに「工」に対する関心が発生する
- 両者のバランスは情報教育を考える上で重要
- しかしながら、いずれにせよ(2)(3)(4)への深い洞察と理解が必要となる
08・“人にとっての情報”を捉える視点
- 人にとって情報とは、「意味」によって(or として)もたらされる
→ 情報の問題を考える上で、「意味」の発生に関わるプロセスや、そのプロセスを成立させる条件も重要
- 「意味」を読み取る人間がいなければ、情報は存在しない
- 情報教育の議論に、“人にとっての情報”という視点があってもよいのではないか
09・“人にとっての情報”に関連する既存学問
- 意味発生の原理的側面に関する学問
→ 哲学、言語学、記号学(論)etc.
- 意味の社会的次元に注目する学問
→ 社会学、人類学 etc.
- “人にとっての情報”と技術との関連に注目する学問
→ メディア論
- “人にとっての情報”を科学的視点から捉える学問
→ 認知科学
- より具体的な教育活動に結びつくもの
→ メディア・リテラシー
10・次回の講義では...
- 情報教育におけるリテラシー教育の位置づけ
- “人にとっての情報”に関するリテラシーとは何か
- リテラシー教育の一環としての記号学の内容
- リテラシー教育の具体例としてのメディア・リテラシー
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