テクニカルライティング 文章を書く上で特に気をつけて欲しいことについて話します 読み手から信頼される文章 説得力のある文章 今日の話の結論: 「事実と意見を区別する」 ライティングにおいて一般的なこと アメリカでは小学生を相手にした言語技術の教育が行われるときなんかに強調される 本質的に重要なこと ●事実と意見の区別の例 <配布資料1「事実と意見の区別・例文」> <配布資料1:例文1> 「信頼」と「シェアの高さ」はつながるの? 「高名なITアナリスト」は信用できるのか? 一文目が事実なのか意見なのか分からない。 書き手の判断? 事実? 事実なのであれば裏づけが必要。 しかし例文の裏づけ(のつもりで書かれたであろう文章)は裏づけになっていない。 シェアの高さ=信頼性の高さ、であるとは限らない。 高名なITアナリストが絶賛する=信頼性の高さ、であるとも限らない。 論理的におかしい。 これが事実でなく意見にすぎないということが明確になっていれば、まだ良心的。 意見は賛否両論ありうる 事実は意見の裏づけ 意見には持ち主、判断の主体が存在する (共有されるかもしれないしそうでないかもしれない) 事実は誰が見てもそうであるもの 文章にはこの2つのうちどちらかでしかありえない。 意見にいかに説得力を持たせるかが重要 事実は意見の裏づけに使われる 意見は sound opinionでなければならない 根拠のある意見 正しい論理に従って導き出された意見 unsound opinionではだめ 意見の根拠は正しく認識された事実でなければならない 先の例題において、一文目が意見だったとすると、裏づけがあいまい 「シェアが高い」→どれくらい? 「高名な」 →どのくらい?だれが評価したの? 事実認定があまい 「高い」「高名な」という表現は裏づけとしてあいまいすぎる 主観を多分に含んでいる これが仮に事実だったとしても、一文目の意見にはつながらない 事実認定がぼけている 論理的におかしい ●事実と意見のカテゴライズについて <配布資料2「事実の記述と意見」> ※理論は事実ではない ※法則は事実となる <配布資料1:例文2> 「信じられている」は裏づけのとりようがない 次の文は「思う」と書いてある時点でぎりぎりセーフ 一番まずいのは次の文 夜間大磯の法が低温になること →1文目では意見だった →2文目で暗黙裡に事実に格上げされてしまった 非常に問題 どう書き換える? 「夜間、大磯の方が低温になることに不思議はない。」 →「〜なること」は断定の書き方 →ここを仮定の書き方に変える 「夜間、大磯の方が低温になるとしても不思議はない。」 意見なら意見として分かるように書くこと。 実際きちんと区切れるか? →難しい。書けば書くほど。気をつけて書いてください。 <配布資料2:事実を書くには> 我々は事実をスケッチしなくてはいけない どうしても主観が混入する 我々が気をつけて、事実を事実として書くようにしなくてはいけない ものごとをクリアに書くには余計なものを書かないという原則 主観の混入を避ける 「大いに」「少なからず」などという表現は極力避ける 避けられないのであれば、書かないほうが良いこともある 事実を書くときに、これらの表現を使うなとは言わない 戦略的に書いてくださいということ <配布資料2:意見を書くには> 意見を書くときは、持ち主を明示する 他人の意見を自分の意見のように言ってしまうのはご法度 まだ考えが浅いうちに文章を書こうとする際に発生してしまうので注意 意見に対する責任の所在を明示する 「〜であると考えられる」や「〜だろう」などは責任回避的な言い方として受け取られてしまう 可能性があるので注意する 特に主語がない場合 受身的な語尾は便利だが、なるべく使わない方がよい <配布資料1:例文3> 「おそらく」と書いてある時点でこれは意見 おそらくの適用範囲が分からない 書き換えるとすれば、 「機は南東に向かって、おそらく350キロで飛んでいた。」 とすると南東に向かっていたことが事実となる 「機は推定350kmで、多分南東へ向かって飛んでいた。」 とすると350kmであったことが事実となる <配布資料1:例文4> 事実:「群発地震〜激減した」 以下のポイントについて、事実か意見がよく分からない 「海底が陥没したり、海中の崖がくずれたりしたので、」 「海中がにごり、」 「イワシがきらった」 あいまいなものの上にあいまいのものをのっけて、それを根拠として仮説としている。 <配布資料1:例文5> 読んで見てください。